高校時代の恩師

高校時代の恩師

関わってくれた人みんな恩師なのですが。

特に僕が大舞台で勝てるようになったきっかけを作ってくれた恩師とは

当時、総監督だった『林田和孝先生』です。

『今でも僕の中で強く残っている言葉』

①試合は死合

(柔道はもともと武道。武道とは殺し合いからできたもの。だから畳に上がるときは死んでもいいと覚悟を持って戦え。審判の見えないところで反則してでも勝て。)とよく言われました。

②発想〈八想〉の転換

(1つのことしか見えない人間になるな。物事を考えるときは、常に8方向くらい見えている視野を持たないとダメだ。)

この2つは今でも特にずっと僕の心に残っています。

『林田先生とのエピソード』

僕は中学時代の個人の最終成績は全国大会ベスト16という結果でした。

その後の僕の成績から考えるとそんなものかと思われると思います。

ただ東海大相模中学に入学した当初はもっと弱くて、中学1年生の夏の成績は県大会にも出場できず、県大会予選の県北大会2回戦敗退くらいでした。

誰からも期待されず淡々と過ごしていたある日、林田先生に言われました。

『海帆は高校生と稽古をしなさい』

僕はなんでか分からない。

という気持ちと、嬉しい。という気持ちだった。

というのも1つ上の先輩に吉田優也という恐ろしく強い天才がいたからだ。

吉田優也先輩は僕が中学入学時、高校生のレギュラークラスの人達と普通に稽古していた。しかもたまに上手くいかなくて泣いていた。(僕はそれを見て少し引いていた。)

そんな先輩を毎日見ていたから、林田先生から高校生との練習が許可されて、自分の中で優也先輩にちょっと近づけた感じがしたからだ。

とはいっても僕はレギュラークラスの人なんか到底歯が立たなかったから、高校生の中でもレギュラーじゃない人達限定だった。

でも誰からも注目されていないというのが分かっていたから僕にそういったアクションを初めて起こしてくれたのがめちゃくちゃ嬉しかった。

僕は弱かったけど、負けず嫌いだったし、稽古はまじめにサボらず必死に毎日食らいついていた感じでした。(ただ本当にきっかけがなにかは分からない。今度聞いてみよう。)

林田先生てハンパじゃなく怖かったんですけど、僕はこの瞬間から高校卒業までずっと好きでしたし、尊敬していました。

そして翌年の県大会では2位という成績になりました。だいぶ成長しました。

そして3年生になった当初、林田先生の引率で、福岡で行われる全国大会(サニックス旗)に出場しました。団体戦では3位という成績でした。大成中学との対戦で負けてしまったのですが、僕が大将で中井選手(後にロンドンオリンピック5位)に勝てば決勝戦進出という場面で引き分け止まりでした。

林田先生は怖かったですが、チームは負けたけど、まさか中学生の僕にそんなに怒らないだろうと思っていました。(引き分けだし。負けてないし。)

でも体育館の裏に連れて行かれて、すごい勢いでぶん殴られました。

「あ。中学生でも殴るんだ」と思いました。

当時、林田先生が中学生を殴るなんて無かったと思うので、僕を殴ったのが林田先生も最初で最後だったと思います。

でも殴られて感じたことは、「なにがなんでも勝たないといけなかった。オレは引き分けじゃだめな選手なんだ。」と思ったし、勝負に対する厳しさも痛感させられました。

と同時に、今の年齢になって感じることは、林田先生もそれだけ僕に対して期待してくれていたし真剣だったということです。

僕が林田先生から殴られたのは6年間、東海大相模で生活した中でその1発だけでした。

〜それから時間が流れて〜

中学卒業後、高校1年生でインターハイを優勝するのですが、その時の試合の引率も林田先生でした。あとラグビー出身のイケメンの湯地先生がコーチボックス。あと付き人をしてくれた山邊君。

当時、桐蔭学園がものすごく強くてその年のインターハイの団体戦では優勝しました。個人戦でも神奈川県代表選手で-100kg級の僕だけ東海大相模で、あとの全階級は桐蔭学園の選手達でした。

そんな中でやはり僕は1年生だし、誰からも期待されていなかったです。(個人的にもインターハイに出ただけで満足していました)

前日の夜に林田先生と焼肉を食べに行き、「明日、海帆が優勝できたらなんでも好きなものを買ってやると言われました。」

やったー。って思いました。

そして試合当日、正直いって僕の目標はベスト16でした。1年生でベスト16に入ると全日本の強化選手になれるからです。

試合当日の試合前は林田先生からも特になにも言われませんでした。

「1年生なんだから元気よくやってこい」と一言。

でも必死に試合をしていくうちに気づいたら準決勝まで行ってしまいました。僕はもう充分だろうと思っていたのですが、林田先生は「海帆!イケるぞ!頑張れ!この流れはイケる!」といって、毎試合始まる前に疲労こんぱいの僕の顔を叩いて気合いを入れてくれました。

そしてなんだか訳の分からないうちに優勝してしまいました。(これが正直な感想です)

本当に何も考えず(考えられず?)、必死に目の前の試合を戦った結果だったのだと思います。

でもこの何も考えないという感覚が今の僕の選手としての根本みたいなものだと自覚しています。

あと今思えば、僕がインターハイを1年生で優勝するなんてみんなが無理だろうと思っていた。想像もしてなかった。もちろん僕自身も。

林田先生も最初は思ってなかったと思うけど、準決勝くらいまで勝ち上がったときに「ここまできたら今日はお前は優勝しないとダメだ」と言われました。

その切り替えの速さというか、対応力は本当にすごい指導者だと思います。未熟な僕の気持ちを勝つ方向に導いてくれたのだと思っています。

厳しさの中にも愛があった林田先生。

本当に感謝しています。

ありがとうございます。

僕も現役生活終盤に差し掛かっていますが、これからもう1度活躍するので、林田先生見ていてください。

まだまだエピソードがあるのでまた今度書こうと思います。

This time, I don’t have an English translation because I think that the translation will have a very different meaning from Japanese. If you really want to read it, please contact me.