大学時代のハナシ

大学時代のハナシ

~はじめ~

①世界で戦えると感じた1年生

②世界代表になった2年生

③また世界代表になったけど疲れていた3年生

④怪我で試合に出れなかった4年生

~せつめい~

【①世界で戦えると感じた1年生】

大学1年生の時の目標は《世界ジュニア選手権での優勝》でした。

派遣された他のジュニアの国際大会ではすべて優勝することができ、

全日本ジュニアでも優勝して、世界ジュニアの代表になることができました。

出場した世界ジュニアでは3回戦でアゼルバイジャンのガシモフ選手と

対戦して思いっきり大内刈に入ったのを返されて負けました。

ですがその年の世界選手権でガシモフ選手は準決勝まで進出していて

その選手と対戦したことによって自分の柔道のレベルが国際的にどれくらいの

レベルなのかだいたい感じることができて自信がつきました。

そしてその年の講道館杯では3位に入賞して、冬季遠征のメンバーに

選んでもらって、そこでヨーロッパのシニアの国際大会で1試合優勝することができ

世界選手権の代表に大きく近づきました。

【②世界代表になった2年生】

2年生になった4月に、福岡で行われた選抜体重別選手権で2位になり

その年の東京で行われる世界選手権の代表に選んでもらいました。

その年の5月くらいに、チュニジアでグランプリが開催されたのですが

そこで入賞はできなかったのですが、北京オリンピックを優勝した

モンゴルのナイダン・ツブシンバヤル選手と対戦して一本勝ちすることができて

非常に大きな自信となりました。

その辺りからどんどん調子が上がっていくはずでしたが

そのチュニジアの試合の日に起きた出来事によって、一気に

世界で戦っていくためのモチベーションがなくなってしまい、世界選手権も

含めて、その後の日本代表としての試合ではほぼ勝てなくなってしまいました。

勝てなかったのは間違いなく当時の自分の実力の無さです。

ですが、19歳という年齢でまだまだ精神的に発展途上だった僕は、当時のその出来事以降、

精神状態をコントロールして、もう一度試合で結果を出せるようなレベルに心を持っていくことはできませんでした。

それはオーストラリアに国の代表を変えるまで続きました。

【③また世界代表になったけど疲れていた3年生】

そんな精神状態で戦っている中で、柔道をしていても全然楽しいと思えない期間が続いていました。

国際大会や全日本合宿に加え大学の団体戦や寮生活・学校生活などに対して向き合うのが非常に大変でした。

当時、東海大学では学生が世界代表になるケースは僕が代表になる以前は、

現日本代表監督の井上康生さん意外にいなくて、近くに話をできるような人もいなかったのもなかなか元気になれなかった要因の一つかなと思います。

今では東海大学から日本代表選手もバンバン増えているし国際大会に出る選手も増えたので、周りにたくさん良い見本の選手や先輩がいてくれるのはとても良い環境だと思います😊

【④怪我で試合に出れなかった4年生】

大学4年生の4月には膝の手術の影響で1度も試合に出場できませんでした。

今までの流れを考えれば、少し立ち止まって自分とゆっくり向き合える時間ができたので良かったです。

ですが、自分の学年の団体戦に1試合も選手として出場できなかったのは唯一の心残りで、当時のチームのみんなにも申し訳ない気持ちがあります。

もうこの辺は正直、柔道から少し離れていたのとあまり柔道のことを考えないようにしていたせいか、そんなに記憶がありません。

でもそんな時期にマツ先輩と一緒にいたり、現在の妻に出会ったりと良いこともたくさん経験しました。

成績とか落ちるとどんどん周りの人は離れていくけど、そんな苦しいときにこそ自分の周りに居てくれた人達には本当に感謝しているし、これからも大切にしていきたいです。

〜おしまい〜

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